ある人物が、まだ誰も危機を意識していない段階から繰り返し警鐘を鳴らし続けていたとします。人々は彼を「デタラメを言っている」「人心を惑わすペテン師だ」となじり、耳を貸そうとしません。

やがて予測通りの事態が現実となり、その人物が「ほらごらん、結局起こってしまったじゃないか」と口にした瞬間、群衆は手のひらを返して「人の不幸を喜んでいる」「不謹慎だ」と怒り狂い、果てはその人物の過去の経歴や家系に至るまで粗探しをして社会的に抹殺しようとします。

このような人物は、特定の価値観を共有する信仰者からは「預言者」と崇められる一方で、対立する別の教義を信じる者たちからは「白昼堂々世間をたばかるペテン師」として排斥されます。

その人物とは、イエス・キリストであったかもしれませんし、コロンブスであったかもしれません。地動説を唱えたコペルニクスやガリレオであったかもしれませんし、パンデミック初期に不都合な真実を口にして批判を浴びた公衆衛生の専門家であったかもしれません。あるいは、身近な問題にいち早く気づきながら、訴える術を持たなかったあなたや私自身であったかもしれません。

筆者が学生時代に出会ったある恩師は、かつて次のような言葉を遺してくれました:

「ふとした閃きを簡単に手放してはならない。自分のアイデアが他人に受け入れられるかどうかを恐れる必要もないし、奇想天外な妄想を抱くことを恥じる必要もない。思い浮かんだすべての思考とインスピレーションを、自分の手で書き留めておきなさい。今のあなたにはその意味が理解できず、先が見通せなかったとしても、将来より多くの知識を得たとき、かつてのメモの中からまったく新しい大陸を発見することがあるのだから。」

筆者のその後の人生に多大な糧をもたらしてくれたこの至言ですが、皮肉なことに、現代の多くの人々の前では嘲笑の対象にしかならないようです。育った背景や学問的素養の違いから生まれる多様な知見を持ち寄り、互いの思考をぶつけ合い、包摂しながら共に成熟していく――そんな建設的な「対話とコミュニケーション」は、今の社会においてあまりにも成立しにくくなっています。

それどころか、少しでも自分と異なる意見を目にした瞬間、まるで親の仇でも見つけたかのように目を血走らせ、徹底的に攻撃して叩き潰さなければ気が済まない人々が後を絶ちません。

突き詰めて言えば、発せられたアイデアや思考そのものに過ちがあったわけではありません。互いの間に渦巻く不信とルサンチマン(怨嗟)が、正しい方向を直視することを拒ませ、対話を遮断する頑なな殻に人々を閉じ込めているのです。それはまるで、寸借詐欺に引っかかった哀しい被害者が「肩をポンと叩かれた瞬間に催眠術にかけられた」と言い張り、自らの貪欲さが招いた結果であることを生涯認めようとしない心理構造と酷似しています。

発言力を持たない人々は、ゲリラ部隊のように匿名掲示板やSNSで皮肉を書き連ね、中立を装い、揚げ足取りや誹謗中傷に明け暮れます。

一方で権力や発言力を持つ者たちは、全体の論理的整合性をかなぐり捨てて壇上に立ち、影響力において到底太刀打ちできない民間の専門家を公の場で袋叩きにします。高い地位にある者が備えるべき大局観や品格のかけらもなく、ただ「黙れ」と言わんばかりに言論を圧殺しようとするのです。

この両者に共通しているのは、彼らの口から出る言葉が「いかにして目前の課題を解決するか」という本質的な議論とは何の関係もなく、単に道徳的優位性に立った「感情的脅迫(エモーショナル・ブラックメール)」に過ぎないという点です。そんな言葉は、現実の問題解決に対して一ミリの役にも立ちません。

「ペテン師」や「預言者」といった、政治的思惑に満ちた空虚なレッテル貼りはもうやめにしましょう。真摯に対話し、他者の視点を受け入れ、敵意を捨てて知恵を絞ること。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉の通り、いがみ合いをやめた凡人たちの連帯こそが、どんな孤高の天才をも凌駕する解決策を導き出せるはずなのです。

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