最近ネット上で、ある人々がソフト記事を書いて世論を誘導し、決して汚い言葉を口にしない人は往々にして小人の性格であると指摘しようとしているのを見つけた。そして大衆に、こうした人と付き合うときは十分に注意するよう忠告している。

あの記事では、さらに 8+9 のような汚い言葉こそが話の主体である人を、情義に厚い光明磊落な青年として包装していた。

???私は誰?ここはどこ?私は何をしている?私は一体何を見た?

私は汚い言葉を言う人を責めたりしていないのに、むしろ私たちのように言わない人間が先に泥を塗られた。

実は私は悪口を言うとき決して汚い言葉を使わない。悪口を言わなくても、生活の中で興奮したり慌てふためいたりする精神状態のとき、罵声を浴びせて口汚く罵ったりはしない。

汚い言葉は学問?

批判的な評論が一つの講義になりうるとはいえ、まさか本当に汚い言葉を学問として研究している人がいるとは思わなかった。一文字から数十文字の連なりまで、すらすらと口にできる。

しかし私は汚い言葉を言う言語習慣を必要とせず、またそうしたいとも思わない。幼い頃から数十年、何の問題も感じたことがない。

もちろん、友人が時折罵るのを聞いても左耳から右耳へ流れるだけだ。何しろこれは各人の家庭教育と生活環境が育んだ一種の言語習慣であり、友達になれるかどうかの善悪判断基準とは関係ない。

しかし、口にビンロウを噛んで真っ赤にしながら、話す習慣で毎文に汚い言葉を語助詞として加える人のとは、最初から友達になりにくい。いわゆる道が違えば共に謀らず、合わないものを無理に一緒にいる必要はない。

しかし、これは私がそれらの汚い言葉の構成を知らないという意味ではない。私が汚い言葉を言う人を嫌いというより、むしろ脳を使わず高度に繰り返される語型を使う人を嫌うのだ。何しろ自分が繰り返しの言葉を言うのさえ、しばらく嫌になるのだから。

誰が真の小人なのか?

結局のところ、一体どのような人間がソフト記事を書いて世論を誘導し、汚い言葉を言うかどうかを人の判断基準にするのか?

明らかに、それは汚れた世界を己の職とする真の小人たちである。

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